土蔵 −西尾正

 序−筆者は或る機会から左の七種の書簡を蒐《あつ》める事が出来た。最初の一通は偶然手に入れたのだが残りの六通には非常な努力を費やした。如何にして手に入れたか?…其の間の事情は語らずともよい。筆者は夫等を左に掲げる事に憑って如何なる人生が展開するか読者諸氏に知って貰えばいいのだ。断って置くが、書簡を通じて現われる事件は今から五六年以上も前の出来事である。

第一の書簡

註−息子より母へ[#「息子より母へ」に傍点]宛てたもので、東京K区B堂製原稿紙約十枚に亘り字詰を沓まずペン字で正確な楷書で認められたもので、文字は仲々旨く、是が二十一歳の青年が書いたものかと疑われる程である。叮嚀に二つに折り重ね、端がクリップで止めてある。文中横文字は、横に、即ち本文と直角に交わるように誌してあるが、便宜上縦に直した。固有名詞は或る部分仮名を用いた。

 お母さん、僕、こないだお母さんと一緒に見たジャック・フェデエの「雪崩」の少年主人公のように、冒頭にMother,I am unhappy《マザア・アイ・アム・アンハツピイ》と書かなければなりません。僕は不幸《ふしあわせ》なのです。一体今の僕の気持を不幸などという簡単な言葉で説明出来るでしょうか? いいえ、僕の心は絶望で打ち拉《ひし》がれ、狂的な程死への憧憬がのたうち廻っているのです。その苦痛は到底不幸などという生温《なまぬる》い言葉で説明は出来ません。堪えられず二十一の年を最後として、学校もお母さんの愛も捨てて、どこかへ姿を消して了おうと決心している位ですもの。お母さんは、薮から棒にこんな手紙を残して僕がいなくなったら嘸《さぞ》や驚く事でしょうね。僕、その理由をいいます、いったって仕様の無い事だけど。…
 不幸という奴はとてもずるい奴で、時折幸福の仮面を被って僕達を誑《たぶ》らかす事があります。僕達がその幸福を有難がって思う存分味わっていると、忽ち本性を現わし、突如僕達を苦悩のどん底に突き陥して了うものです。お母さんと僕はあの関東大地震のあった年、暑い暑い夏を逗子《ずし》の桜山で過したのでしたね。僕の不幸も最初は幸福の仮象を以て僕の心を捉えて了ったのでした。お母さんも知っているでしょう。僕とエセル−Ethel Livingston《エセル リヴィングストン》というアメリカ娘との恋を? 僕はそれが絶望への落し穴である事も知らず、お母さんの寛大に甘え初恋の有頂天に乱酔する儘、ズルズルだらしなく抑制を失って行ったのです。
 僕が初めてエセルと相目見《あいまみ》えたのは、あの年の七月上旬の暑い日の午後の事でした。あの頃僕は釣竿を担いで近所の川−湘南電車が眼の前の崖上を轟々鳴り乍ら通る小さな澱みへ、毎日毎日鮒を釣りに行っていましたね。その日も四五寸の鮒を五匹も釣り上げ、背後の林で蜩《ひぐらし》が寂しい声で鳴き西の空が真赤に夕焼け川面《かわのも》に冷たい風が吹き始めると、僕はお母さんに大漁の自慢をしようと立ち上りました。その時背後でがさがさ草を踏む音が聞えて、二人の異人の少年が糯竿《もちざお》を持って蝉を捕っているのに出会ったのです。二人は笹の被せてあるバケツを持った僕を見ると、とても馴れ馴れしく近寄って来て何事か囁き乍ら笹の下に隠れた魚の有様を覗き見るのでした。その様子が余り欲しそうなので僕はちょっと得意になり“May I give you some《メイ・アイ・ギブ・ユウ・サム》…?”というと、二人は案の定とても喜んで“Oh,gimme!《ギムミイ》 gimme!《ギムミイ》”と口々に叫び乍ら可愛らしい両手を差出すのでした。二人の家は錯落たる松樹に取囲まれた、何となく暗い感じのする灰色の壁の馬鹿デカイ和洋折衷の家でした。僕は一緒に門の前迄行って獲物を一匹宛与え、長い樹の影を曳いた砂路を何となく意気揚々と帰って行きました。数間行って何気なく振り返って見ると、蒼錆びた石造の門前に純白の服を纏うたとても美しい女の人が二人の少年と手を繋ぎ乍ら立っていて、じっと僕の方を見送っていました。お母さん、その女がエセルだったのです。エセルは半面に明るい夕陽を受け美しい金髪をきらきら輝かし乍ら絵から脱け出た処女のように物軟かい微笑を湛え、とても素晴らしいポオズで立っていました。ああ、カナカナの鳴く堪らなく淋しかったあの日…そして僕を一生の惑乱に陥れたあの日よ!
 それから間もなく−僕はエセルと二人の少年達、二人の姉弟と海岸へ出て玉転がしを作ったり波乗りをしたりする事が出来るようになりました。こうして僕には眠られない夜が二晩三晩と続いて行ったのです。エセルは映画で見るようなヤンキイ・ガアルらしいお転婆の明朗さはなく、段々交際《つきあ》って行く裡に肉体も余り健康でない事が分り、泳ぎすぎると直きお腹をこわすといって庭の木蔭で本を読む日の方が多く、いつぞや訪ねて行った時など、英訳された芥川龍之介の短篇集Rashomonを読んで面白いといっていました。彼女の、花の落ちかけた庭のサルビアのように、いつも面に微かな愁いを湛え哀し気な眼差をしている所が、早くから父を失った僕の暗い心を捉えて了ったのです。或る日の事僕が自分で英訳した「桃太郎」のノオトを持って少年達に“Once upon a time《ワンス・アポン・ア・タイム》…”と音読してやり、読み終えて何処が面白いかと訊いたら、窓から首を出して聞いていた母が、『桃の中から桃太郎が生れてくる所が面白い!』といって大きな肩を揺振り何だか下品な調子で笑っていました。父は横浜にいて週末から日曜にかけて来る丈で、母という人もエセル達とは些《すこ》しも似ていないガサツな感じのする人で、三人の姉弟達は少しも彼女に甘えるという事がなかったようです。僕の心は段々モヤモヤした熱っぽい感情で揺振られ始め、或る夜、うなされ乍らとても淫《みだ》らな夢を見て了いましたが、その翌日、僕とエセルは夕方から人の誰も登らない近所の山に登って、地面や草樹が暑い陽をすっかり吸い取り空が段々暗くなって来る頃、とんでもない過ち、越えてはならぬ垣を到頭越えて了ったのです。僕が十八、エセルが二十、そしてエセルを知ってから纔《わず》かに一月余の後です。お母さん、おどろいたでしょう。僕は何て早熟なんだ、寂しがりやの二人の消極的な心が確乎と結ばれてエセルの泪《なみだ》が混えた劇《はげ》しい情熱に僕負けて了ったのです。…
 それから後エセルの健康が次第に損われて行きました。悲しみはそれ許りでなく、月末には逗子に住むエセルを残して帰京しなければならないのです。八月三十一日! その朝僕は別離の悲哀に拉がれ蒼白な顔をしたエセルと、秋の間近に迫った海辺に足を浸し乍ら歩き廻わりました。彼女はGide《ジイド》のLa Porte etroite《ラ・ポルト・エトロアト》に出て来るとかいうBaudelaire《ボオドレエル》の詩−やがて冷たき闇にわれら沈まん、さらば束の間の、われらが強き夏の光よ!…と呟き乍ら不気味な程の愁いに沈んでいるのでした。帰ってから僕、お母さんに総てを告白して彼女との結婚を許して貰おうと決心していたのです。−所が僕の帰った翌日が、何という事でしょう、あの日一日の大地震でした! 僕達の本郷の家は無事だったが、海に近いエセルの家はどうなったでしょう! 逗子には潰れた家も尠《すくな》くなくその上津浪もあったそうだから、エセルは死んで了ったに相違ない、エセルのお父さんの会社が横浜に在るが、横浜もあの通りで問い質す訳にも行きません。せめて当《あて》にしていたエセルからの便りもなく二た月三月と過す裡、到頭僕肺病になって了ったのです。僕は死ぬと思った。だってお父さんが肺病で死んだんだもの。そうでしょ、お父さんは僕が四つの時肺病で死んだとお母さんは云いましたね? 幼年時代の記憶は更にありませんが、何だか僕、お父さんのような人に時々抱かれた感じが残っているような気がします。でも神様は未だ僕を見捨てなかったものか、三月足らずの病臥生活で再び起き上る事が出来ました。いや、神は矢張り惨酷だったのだ、僕、あの時肺病で死んだ方がマシだった!
 エセルは死んだ、あの地震で潰されるか流されるかして死んで了った、こう信じ乍らも恋しくて恋しくて堪らず、恰度あの日は寒い風の吹く日で、僕はジャケツを沢山着込んでそっと逗子を訪れました。エセルの家の附近は予期の通り荒涼たる有様で野原のような殺風景な空地が寒々と拡がり、数人の大工がカンキンカンキンと金鎚の音を響かせていましたが、家々の復興はまだまだ間のある事を思わせました。僕は項垂れた儘駅の方へ引返さなければならなかった。が僕、余計な所で引懸って了った! お母さん御存知でしょ、あの年の取りつけの八百屋秋元源蔵の店−店の前を通り過ぎようとしたら恰度主人が出ていたので、思わず声を掛けてエセル一家の動静を訊いて了ったのです。親爺《おやじ》は僕をよく覚えていて、母親や弟達は無事で故国へ帰ったとのことだが、只エセル丈が死んだと答えました。『潰されたの、流されたの?』と訊くと、親希はケロッとした調子で『いや潰されも流されもしませんよ。あのエルセルちゅうお嬢さんは三十一日の夜に毒をのんだんですよ』と答えるじゃありませんか。僕はギョッとしました。エセルは地震で死んだのではなくその前夜自殺して了った。その自殺体丈が津浪に攫われて行ったというのです。是はどうした事でしょう? エセルに一体どんな自殺の動機があったというのでしょう! 僕は烈しい狼狽を押し隠し恐る恐るその動機を訊き返すと、主人は…ああ、お母さん、何と答えたと思います?…ああ、今、※[#“玄”偏に“玄”]に、その名を誌す事さえ怖ろしい! でも、今更躊躇した所で始まらない、思い切って書きます! エセルは、お母さん、R…RAI…LEPRA…癩!−だったというのです。僕は思わず『えッ?』と訊き返さざるを得なかった。すると主人は相変らず無感動な表情で、『癩に間違いはないそうで、何でも体にポツポツ出てましたよ! 土地の者ぁあの異人さん一家の事をみんなで癩病屋敷と呼んでぇた位ですよ』と答えるではありませんか? 僕の全身はいいようもない不気味なカで握り締められるように覚え親線が走らなくなると、誰かに体の急所を摘まれて空に釣し上げられるように感じて、その儘店先に脳貧血を起して了ったのです。
 お母さん。その後の事は精しく書く必要はありません。既に第一病状がこの僕自身に現われた今となっては! 是は何という恐怖でしょう、清浄だった僕の血管に無数の鈍い面附《つらつき》をした癩菌が刻一刻腐蝕への活動を営んでいると想像する事は! エセルの肉体から奴等は首を揃えて新らしい獲物に乗り移って来たのです。お母さんは覚えているでしょう、僕の頭に一銭銅貨位の大きさの禿《はげ》が天辺に一つ後頭部に一つ一時に落髪したのを? 僕がべそを掻いてその赤茶けた部分を見せたら、お母さんも癩を直感したのでしょう、真青になって眼を引き攣らせ、へたへた畳に崩れて了いましたね? お母さんは僕以上に癩を恐れているのだ[#「お母さんは僕以上に癩を恐れているのだ」に傍点]! そういうお母さんに、僕は癩です、どうしたらいいでしょう、などと縋《すが》りつく訳には行きません。それのみかお母さんは僕に、あの日医師に診察を請う事を禁じました。お母さんはあの医者が好きなんでしょう? だから自分の子供が癩である事を知らせるのを怖れたのでしょう? 御安心なさい、あんないやらしい奴に診て貰う事なんか僕の方で真平御免です! お母さんの事をケイ・フランシスのようだとか、昔からちょっとした風邪でもお母さんは直ぐあの医者を呼ぶではありませんか。死んだお父さんが可哀相だ!…彼奴が側へ来ると、蚰蜒《げじげじ》に襟首でも這われたようにゾオッとするのです。金縁の眼鏡をかけて、気障な髯を生やして…いつも舶来煙草を吸っているいやらしい爺!
 別の医者は僕の落髪を円形禿頭症といって臭い塗薬をくれ、一日置きに人工太陽燈の照射を受けるよういいました。『癩ではありませんか?』と幾度咽喉迄出かかったか知れません。けど、怖ろしくてその勇気はなかった。医師には誤診という事もあるし、僕がいい出した事によってウッカリ癩菌検査などされては堪らないからです。近頃では単に皮膚許りでなく、※[#“目”偏に“匡”]《まぶた》が痛んだり関節に重苦しい鈍痛を覚えたり、神経癩の症候さえ現われ始めました。僕はもう癩に相違ないのだ!! ああ…僕、肺病で死んで了えばよかった、それよりいっそ生れて来なければよかった。お母さんはどうして僕を生んでくれたのです? この恐怖が明日《あした》も明後日《あさって》も、一年も二年も…僕が息づいている以上続いて行く事を想像するのは何たる絶望だろう! 僕はもうお母さんの前から逃げ出します。この家で醜い腐爛体を曝してお母さんに迷惑は掛けたくはないのだ。「この世の第一の幸福は生れない事だ。第二の幸福は一日も早くこの世を去る事だ」と或る外国の詩人がいっていた。…
 ではさようなら! 決して僕の行方を探索して下さってはいけません、どんな事があっても絶対に帰って来ない心算《つもり》ですから!
 さようならお母さん、永久に!

第ニの書簡

註−八百源主人より母へ[#「八百源主人より母へ」に傍点]宛てたもので、半紙二枚に薄墨の筆で書かれた金釘文字である。文中誤字脱字など眼につくがその儘再録した。

 拝啓 御天気不|須《じゅん》之折柄益々御清栄之段奉賀候、先日は私議留守中御出被下其上御ミヤゲ迄頂戴致|志《し》何共申訳御座無候、御子息務様如何御過志ニ候ヤ御伺申上候、成績良好ニテ御進級ノ御事卜存上奉候、却説、御問合ノ件、即チアノ異人サン一家ガ癩ナリヤ否ヤノ件二就ハ私方モ一所懸めい調上申候ガ、何分古イ話デ志《し》ッカトハ申上難ク侯ガ、いつぞや務様御立寄被下志折申上ゲタル事ハ全ク根モ葉モ無キ事ニテ。エセル嬢ト申ス異人娘ハ癩デモ何デモ有リマセン[#「エセル嬢ト申ス異人娘ハ癩デモ何デモ有リマセン」に傍点]、事が今日二至リテ判明致候、ナレド三十一日夜毒ノムダ事ニハ間違是無、何でもサル日《に》ッ本人《ぽんじん》卜不義ヲ致志情ヲ通志《つうじ》タル事ガ彼ノ嬢ノ継母二知レシドク叱ラレ申志タルガ原因トナリ神経ガ過敏志テ脳天ニ異常トカヲ呈志タル旨家ノ若イ者ガ申居候、アノ継母ハ有名ナルあだちがはらの鬼ばばァニ御座候、務様御立寄ノ折知テ居テ出たらめヲ申上タノデハ御座無くアノ家ノ余リノシワンボーニ土地ノ者ハ口々ニ癩病屋敷卜蔭ロヲキキ居候。
 就マ志テハ夏モ問モ無クノ事卜存候、本年ノ夏ハ何処二御避暑遊バス御予定二御座候ヤ、成ルベクナラバ逗子ニテ御過被下度仗而懇願奉候、私儀此度海岸近ク新築之家二軒増築致候、シャワー附キニテ夏場之御客様二是非共御貸致度、四間之方ガ七月八月デ参百五拾円也五間之方が同ク四百円也二御座候、御暇之折是非御立寄り被下度其節ハ御案内申上候。
 右、御問之件御答旁々相変ラズ御ヒ−気之程一重二御願迄

草々

第三の書簡

註−母より子息へ[#「母より子息へ」に傍点]宛てたもので、芭蕉模様の浮き出したレタア・ペエパア五枚に、細いペン先、コバルト・ブルウ・インクで巧みな筆蹟で誌してある。所々涙を落したらしい汚点がついている。

 務さん、お母さんはとうとうあなたをみつけました、あなたのいどころをやっとつきとめることができましたのよ。でもそのためにはたいへんな骨折をしてしまいました。ふいに訪ねていってつれもどそうとは思いましたが務さんは意地ッぱりだから先に千束町の合宿に手紙をかいて、今晩中につくでしょうからその上で明朝おたずねします。どうぞお母さんと一緒にかえって下さい。務さんのいない三月《みつき》というもの、たった一人のお母さんははらわたをきられるようなつらいかなしい日を送りました。同封の百八源主人の手紙をごらんなさい。エセルさんはそんなおそろしい病気でもなんでもないじゃありませんか。あなたの清浄なからだがあんな浅草のゴミゴみしたレヴィウ小屋などのすさんだ生活に沈湎《ちんめん》していては、それこそけがされてしまいます。お仲間の人たちとねとまりしている千束町の合宿とかも、周囲にはきたないバアやカフェや居酒屋などのならんだくらいおそろしいところではありませんか? 顔に絵具をぬったり大道具とかの金鎚をたたいたり…そんな日々をおくって務さんはみたされているのですか? 務さんのしらないうちにこんな探偵みたいなことをしてごめんなさいね、でも、こないだは務さんがK※※※劇場の舞台にでて、ピエロのような衣裳をきてジャズ・ダンスとやらをおどるのをみていたら、泪がぽろぽろこぼれてかなしくて仕方がありませんでした。せんだっては千束町のお家を遠くからのぞいてみましたが、もうおひるちかくで世間ではみなさんが仕事をしているというのに、雨戸はしめきられ二階の落ちかかったてすりには前夜くいちらかした茶碗や徳利や盃などがらんざつにすててありました。務さんがどういう生活をすごしているか大体の想像ができて、お母さんはどんなにつらい思いをしたことでしょう!…よしんば務さんがどんな病気をもっていたとて、お母さんはいつもあなたと一緒にいます。決して決してはなしはしません。どうしても生きてゆくのがいやなら、お母さんと一緒に死んで下さい! 務さんだけが私の宝です、希望なのです!…
 務さん、あなたはあまり紳経がつよすぎるのです。お医者さまも円形禿頭症といったというではありませんか? 務さんは腺病質だから毛髪栄養もふそくなのでしょう。そのほかのささたる症状はみなあなたの妄想が生んだものです。
 務さん、どうか一緒にかえって下さいね。明朝たぶん務さんがねているころたずねてゆきます。たずねられるのがいやなら、どうか着物も荷物もなにもいりませんから千束町の電車停留所まえにたってまっていて下さい。務さんがあんなすさんだ生活に満足できず、どれはどさぴしい思いをしながらお母さんのゆくのをまっているか、お母さんにはよオくわかります。そして家へかえって務さんのこころから安心のゆくよう、いいお医者さまに診察していただいて、無毒であることを証明していただきましょうね?
 では、明日。…

第四の書簡

註−老医師より母へ[#「老医師より母へ」に傍点]宛てたもので、無罫の真白い紙一枚にブラック・ インクで書き殴ってある。文字の右肩が極端に上っているのが目立つ。

 前略 御依頼に拠り去る五日御子息務君に関する癩菌有無の検査及び診察の為該病専門たるT※※※大学附属病院皮膚科教室の知人医師に同君を紹介し置きし所、昨日同医師より検査後の正確なる返事有りたるを以て御答申上候。務君は中途極度なる狼狽を見せ診察を拒絶せしも医師は断固たる手段を採り、大腿部内側に癩を疑わしむる病変を認めたるを以て其の病変有る部分と健康皮膚との境界以内を切り取り、組織標本を造り尚予備補助手段として鼻腔粘膜切片乃至膿汁を取上げ厳密なる検査法を行いし所、両者に於いて瞭らかに癩菌の存在を発見せしとの由にて、私信なれ共其の旨記載有る書簡同封致置候間何卒御覧被下度候。「皮膚病竃《びょうそう》検査の結果癩菌陽性[#「癩菌陽性」に傍点]」とは洵《まこと》に意外の極みに存じ候。務君が何処より彼の恐る可き病菌を得しや又何日頃より保菌者なりしや全く想像至難の事にて知人医師に再度其の旨問い糾《ただ》せし所、相当悪性の癩菌にて全治は全く困難の由、尚拙者の診察する所に拠りても一目瞭然たる皮膚癩の症状を呈し居り、病菌は相当猛然且多年に亘りて腐蝕作用を営み居りし事推察に難く無く二期三期の重篤患者にて、至急適当なる療養所に隠匿隔離の要有る者と御忠告申上候。今日に至る迄何故気附かざりしか余りの不注意無責任に御座侯わずや。尚今後の拙者との御交際は平に御断り申上候間何卒此旨御履行被下度願上候。此返事が貴女に対する最後の訣別状に御座候。
 右、取急ぎ御返事迄 勿々。

第五の書簡

註−息子から母へ[#「息子から母へ」に傍点]宛てたもので、母のレタア・ペエパァを用い、乱雑極わまる走り書で、所々にインキの斑点を飛ばしている。文字に第一の書簡の如き正確さは無く、用紙にも皺が盛り上っている。

 お母さんの嘘つき! お母さんの嘘つき! お母さんの嘘つき! 僕やっぱり癩じゃないか?! 僕、鼠のように素早く、あの狒々爺の手紙読んだぞ! 僕何て人がいいんだ、お母さんの言葉にウマウマと欺されて…お母さんは八百源を買収してあんな手紙を書かせたんだな? お母さんは以前から何もかも確信して、路上で腐蝕するのを見るに忍びず、内のあの真暗な土蔵の中へ幽閉しようとしたんだ。あの不気味な古井戸のような土蔵!…どんな魔物が潜《ひそ》んでるか分らない底無沼!…物心ついてから今日迄お母さんはあの土蔵を世界中で一番怕《こわ》い処であるといいきかせ、僕がちょっとでも把手《とって》に触れようものなら気狂いのようになって止めていたではありませんか? 其処へ僕を抛り込もうとペテンにかけたのだな?! お母さんの馬鹿! 僕はもう子供じゃない、お母さんよりカがあるんだ。殺されても僕は逃げる、逃げる、逃げる、逃げるんだ! 癩患者には法律も社会も道徳もない、只々生存欲が強いんだ! 肉体の崩れを凝視し乍らでも生きて行き度いんだ!
 もうどんな事があっても捕らないぞ!

第六の書簡

註−母から息子へ[#「母より息子へ」に傍点]宛てたもので、旅館などに備えつけてある平凡な縦罫のレタア・ペエパァに読み難い程の薄い鉛筆で認められ、相変らず達筆だが、ひどく手許が乱れている。細長く畳まれて結んであった。

 務さん、お母さんはこの手紙、この最後の手紙を東京からずっとへだたったとおい日光の湖畔の旅館でしたためているのです。お母さんには務さんのいどころがわかりません。でもほかにだれも名宛人をもたぬお母さんはあなたにあててかくよりか方法がないので す。
 務さん、お母さんは務さんにおいてけばりにされてからくるしい日々をおくるうち、とうとうとんでもない大罪をおかしてしまいました。日高医師とその道づれに日高のあたらしい愛人をいまさっきピストルで射ちころしてきたのです。お母さんの手はまだ硝煙くさいくらいです。お母さんはどうして日高をころしてしまったのでしょう?…もうじき二人の屍休も発見されてやがてはお母さんも警察のひとたちにつかまるでしょうから、そのまえにお母さんの罪の動機と、きょうまで務さんにも世間のひとたちにもひたかくしにかくしてきた私たち一家のふたつの秘密[#「ふたつの秘密」に傍点]をここにばくろして、お母さんも毒をのみましょう。
 務さん、お母さんはあなたが非難するようにほんとうにひどい女です。不貞な淫奔な恥しらずな女です。お母さんはずいぶん長い間良心とお父さんの亡霊とにくるしめられながら、みにくいみにくい生活をおくってきました。お母さんほどの年ごろになると、人生が漠然といいようもないほどたよりなく感ぜられ、夢をうしない、精神的なものの一切がばかばかしくなって官能神経ばかりが敏感になるものです。愛するでもない恋するでもないまったく中途半端な気持で、ズルズルとあの日高とみにくい関係!−務さんの指摘したことはみんなほんとうです−をつづけてきました。ああ、それを悦楽とよぶことができるでしょうか、いいえ、まだどこかに良心滓《かす》がのこっているお母さんは、どんなにかくるしい想いで人の世のたよりなさをけそうとしたことか! 愛しても思ってもいない不潔な男、相手もまた真剣に私を愛していてくれようなどとは夢にも思わなかったくせに、ほかに愛人をつくったことをしった時のお母さんは、くるいまわるほどの嫉妬をそのあたらしい女におぼえるのでした。それのみか務さんまでがはっきり癩と確定され…ほんとうにお母さんはあなたをよぴかえさなければよかった。ひさしぶりで千束町の電停であなたをみかけた時、あなたのまるでルムぺンのようなみじめな変化には、予期していたゆえそれほどおどろきはしませんでしたが、お母さんのおどろいたのは、あなたがまちがいなくあのおそろしい病気の初期症状−顔面腫脹をあらわしていたことです。半信半疑でいたものの眼前にあのすがたをはっきりみてこころはふるえおののきました。土蔵!…あのおそろしい土蔵が私のこころに浮びあがったのです。青色いぷきみな艶のういた顔を伏目加減にじろじろ泥棒猫のように窺《うかが》っていた務さんのみじめなみじめなすがた!
 でも務さんはエセルさんを恨んではいけないことよ。エセルさんは癩でもなんでもないのですから。エセルさんたちの一家はほんとうに不幸な家庭でほんとうのお母さんはエセルさんが十歳ぐらいの時になくなってしまい、あの時のお母さんはなんでも支那でいやしい職業をしていたひとで、わかい時から家庭にめぐまれなかったエセルさんはたえず生活の不安をおぼえていたところ、務さんとの関係がしられて継母にとてもひどく折檻されたのだそうで、もともとからだのよわいエセルさんは前途をはかなんで死んだということです。務さんは『では僕はどうして癩なのだ?』ときくでしょう。務さん、きょうまでかくしていたけどもういいましょう、おどろいてはいけません、お父さんは肺結核で死んだのではなく、実はお父さんこそ癩だったのです[#「お父さんこそ癩だったのです」に傍点]! お父さんはあなたがふたつの時に発病し病勢はぐんぐんすすんで二つの時まであの土蔵にかくれ、それからまもなく、O《オオ》※※※市G《ジイ》地の療養所にのがれそこでなくなりました。私たちはこの秘密を極度に警戒し、一切世間との交通をたち、だれにも、あの日高にすらさとられないことに成功しました。でも想えばふしぎです、あれ程伝染しないように警戒し、しかも務さんが三つの時までだったのに、どうしてお母さんでなく務さんにうつってしまったのでしょう? もっともあなたのお父さんはとめるのもきかずそっと土蔵からはいだしてきて、かあゆくてたまらぬ務さんをだきあげて頬ずりや接吻などするようなことがあったから!
 こうしてあなたが癩であることがわかるや、もともとお母さんのからだには飽きがきていた日高は、いいしお[#「しお」に傍点]とばかり、あのつめたい絶縁状をくれたのでした。お母さんは憎悪にくるい死ぬまえにぜひ一言挨拶しようと彼の行動を監視しはじめたのです。五日ばかりまえあたらしい愛人の手をとってここ日光中禅寺湖畔の宿屋へやってきたのをお母さんはきづかれずにそっと追跡してきたのでした。彼等の隣室に宿をとったお母さんは、室内の模様から二人の出先まで監視することをおこたらず、彼等がまいにち昼ちかくおきて入浴と食事をすませてから、きまって附近の眼下に湖水をのぞむ崖道を散策することをつきとめたのです。そしてとうとうきょうという日がきました! お母さんは彼等のさきまわりをして必ずとおらねばならぬ崖道のまがりかどの草むらに身をひそめ、帯のあいだにはさんだピストルをしっかとおさえつつ待っていたのです。ふたりは思ったよりはやくやってきました! あたりにひとなきをさいわい日高はあだかも私にしたようにあたらしい女の肩を左手で抱き、右手のステッキをかるがるしくふりながら戯むれつつちかづいてきました。お母さんはころを見はからってとぴだしました。二人は場合が場合だっただけによほどおどろいたらしく組んでいたからだをはなし、二三歩しりぞいてあらためて私を見なおしました。日高は相手が私だということがわかり、たかをくくったものか、今度はニヤニヤわらいだしました。私は全身のふるえをおさえおさえ『私はいまさらあなたの愛にすがろうというのではありません、あなたに一言《ひとこと》大事なことをおしらせするためにあなたをつけてきたのです。あなたは務が癩であることをしりそれを口実に私をみすてました。ですけれど、あなたはしらないのですか。務は決して死んだ主人の子ではなく、ほんとうはあなたの実子であるということを[#「ほんとうはあなたの実子であるということを」に傍点]!?』といいはなちました。日高は一瞬ギョッとしたようでしたがすぐまたニヤニヤ笑って『なにでたらめをいう!』とからかうような調子でステッキをもちあげ私の帯のところを−ピストルのかくされてあることもしらずに、二三度ぐいぐいついたのです。『おまえの子供こそ癩なのだ! おまえはかなしくはないのか?』お母さんは無我夢中でこうさけぷや、すばやくピストルをとりだし私の見幕におどろいてすがりあった二人のからだめがけてありたけのタマをつづけざまに発射しました。バンバンバアン!…小気味のよい音とともに真白いけむりがもうもうとたちあがりました。屍体は私の手数をまたず眼前で二三回からだをよじらせると、かかとが崖のかどをすべって眼下の岩の突出した湖水の淵に墜落していったのです。…
 務さん、ごめんなさいね、ゆるしてくださいね。この手紙はおそらくあなたの手にははいらないと思いますが、もし右の事実をしったらどれほどおどろくことでしょう! お母さんはきょうまで務さんが日高の子であることを、日高はもちろんお父さんにもあなたにもかくしてきたのです。お父さんはそれを知らず務さんにどれほどの愛着をもっていたことでしょう[#「お父さんはそれを知らず務さんにどれほどの愛着をもっていたことでしょう」に傍点]? むりもない、たれの子であるかをしるものは神さまと母だけなのだから。あの土蔵からはいだしてなかば腐爛した腕であなたを抱きあげ顔をすりつけるなどはげしい愛着のありさまをみて、お母さんは伝染のおそろしさもわすれ自らの不義と父の錯誤した愛情に戦慄していたのです! お母さんはお父さんと結婚するまえすでに日高に処女をうばわれ−私の家はお母さんが娘時代からの日高の病家で、一夜ふとした機会にはげしい情熱をうちあけられ、魔がさしたものか、無反省なお母さんはあの男の真実をみきわめることもせずに、身をまかせてしまったのです。そしてしかもそれにこりもせずお父さんの発病以来みにくい不義をふたたぴくりかえしてきたのでした。あなたの日高にたいする憎悪は潜在していた肉親の無意識の逆の発露だったのです。ああ、お母さんはなんておそろしい女でしょう! なぜ私にこそ天の刑罰がくだらないのでしょう? 務さん、あなたはいまどこにいるの? どこでなにをしているの? でもいずれはどこかであうことができますわね。お母さんにはそれがただひとつの楽しみです。たといそこがいずこの世界であろうとも!…下でガヤガヤ多勢の人の足音や話声がひぴいてきました。お母さんをつかまえにやってきたのです。
 では、では、では…!

第七の書簡

註−癩死した父が実兄某に宛てたもの[#「癩死した父が実兄某に宛てたもの」に傍点]で、手紙と謂うよりは寧ろ紙片であり、鉛筆書きで芯が時々折れたらしく紙に傷がついている。

 死の迫り来たる土蔵の中で是を誌す。俺は今日も務を愛撫した。抱上げてロを吸った。耳を噛んだ。眼を嘗《な》めた。凡ゆる愛撫の限りを尽した。務は無心に俺の腐蝕した唇に乳房の錯覚を起して吸い付いた。俺が斯く務を愛撫するは務が可愛いいからか? 否々、憎いからだ! 俺にも務が可愛いい時期が有った、務が俺の子であると誤信して居た時迄は! 一度彼奴が不義の子で有ると知った時俺の過去に払った愛は旋風の勢で憎悪に変じた。俺は二人の不義者への復讐と務憎悪の為め次第に日高に肖《に》て行く務に業病を移す事に決心したのだ。其の手段こそ愛撫だ! 俺は妻にも裏切られ忌わしき病患を持つ此の世の醜汚と呪誼の権化だが其の屈辱を凝乎《じっと》忍んで知らぬ顔の半兵衛を定め込んで居たのだ。真に愛さば何とて愛撫しようぞ! 奴は是を知らぬのだ?

補−湖畔の殺人…日高医師並にH※※※病院看護婦長殺害事件は読者も未だ御記憶だろう。新聞は「四十の大年増嫉妬鬼と化し老色魔と新らしき情婦を射殺す、近来眼醒しき癡愚の犯罪!」と至極嘲笑的な筆調で報じていたが右掲書簡の内容には触れる所が無かった。新聞は悲劇をレヴィウ化し而も事実に関してはかなり粗漏なものらしい。

初出誌「ぷろふいる」1935年1月号/底本「幻影城」1975年10月号No.10


表紙へ

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル